朗読会「ポストコロニアルを生きる道」テキスト解題

 「死者たちの夏2023」朗読会動画で読まれているテキストの解題をお届けします

(朗読会にて配布されたsouvenir / souleverからの抜粋)


朗読会「ポストコロニアルを生きる道


①度々の実践について ダニエル・キンテーロ 

 (石田智恵 選/訳)

解題

 アルゼンチンは、アメリカ大陸有数の「移民の国」になる前の一九世紀に、先住民を軍事事業によって征服し土地を奪って領土を拡大したうえで、それ以降の国史における先住民の存在を否認した。国民国家アルゼンチンを基礎づけるこの民族(国民)浄化とも呼べる振る舞いは、形を変えつつ以後のアルゼンチン史に何度も回帰する。アナキスト、農民、労働者、共産主義者、社会主義者‥‥。強権体制に反抗し、あるべき権利や公平な社会を求めて闘争する人々は国を脅かす病と呼ばれ、そのたびに容赦なく殺害された。国家はそうして内側に敵を見出し、軍事行動によって不都合な人間を消去しようとしてきた。一九七〇年代、軍事・民主両体制下で行なわれた「強制失踪」を主な手法とする弾圧は、そうしたアルゼンチンの政治暴力のひとつの頂点と言われる。

ダニエル・キンテーロ(一九五九~)の「度々の実践について」(二〇二二)は、繰り返されるこの国家暴力に対する鋭い批判の詩である。この作品は、「『私を忘れないで』:詩と記憶」と題された二〇二二年のイベントで発表された四人の現代詩人による作品の一つだが、開催日である三月二四日は、現在アルゼンチンで「真実と正義のための記憶の日」という祭日に制定されている。これは、一九七六年の同日に軍事評議会が政権掌握を宣言したことに由来しており、主として二〇世紀後半の、比較的記憶に新しい暴力が想起される日付である。しかしキンテーロはその枠組みのなかで、一九七〇年代という「アルゼンチン史上最も暗く重い時代」に焦点をあてる代わりに、長い間忘却されてきた古い血と骨の記憶から書き起こす。そうすることで、近過去の暴力がより深い射程のなかで捉えられている。だが作品の後半に示されているように、このような想起の仕方もまた、二〇世紀の徹底的な異論排除の暴力(とその忘却)を許すまいとする、徹底的な抗議の声の一部であろう。

キンテーロはブエノスアイレス生まれだが、一時期は南極にほど近いアルゼンチン最南端州ティエラ・デル・フエゴに移住している。先住民の言語が名前に残る州都の街を含め、二〇代、三〇代の多くの時間に「辺境」で活動し、自らを「ディアスポラのフエゴ島民」とも称する詩人は、「記憶の日」の作品のなかで自国の墓を描いている。

(石田智恵)


②プトゥマヨの虐殺をめぐる証言二篇

(近藤 宏 選/訳)

 ・ジョシュア・ディアルの証言

 ・先住民アナスタシアの記憶語り

解題

 十九世紀末から二十世紀初頭にかけて、南米アマゾン地域で起きたゴム・ブーム。熱帯林に分布する天然のゴムノキから樹脂を採集するという単純な経済活動の労働力として現地の先住民が徴用された。アマゾン河の上流に流れ込むプトゥマヨ川流域では、契約労働とは大きく異なるその労働の動員のため、先住民狩り、懲罰としての鞭打ち、反抗や逃走を企てる先住民の殺害など、後に虐殺として語られることになる、多様な暴力が用いられた。ここでは、プトゥマヨにおける先住民の虐殺をともなうゴム・ブームについて、二つのテキストを紹介したい。

 ひとつは、プトゥマヨのゴム・ブームの暴力を後世において語られる歴史的記憶とすることに大きく寄与した、当時の大英帝国外交官、ロジャー・ケースメントによる、プトゥマヨ報告書(通称『ブルー・ブック』)である(※)。この文書でケースメントは、ゴム・ブーム経済の実態を明かし、植民地主義を背景にした奴隷制度として批判した。報告書作成の重要な情報源となったのは、カリブ海の英領バルバドス島の出身者たちである。プトゥマヨ地域にまで出稼ぎにきた彼らには、先住民に対する暴力を直接に担う役割が課された。『ブルー・ブック』には、プトゥマヨにおけるゴム採集の実態とそこに織り込まれた暴力の様相のほか、二十三人のバルバドス出身者の証言が証言者ごとにまとめられている。ここでは、先住民狩りや殺害の様子が生々しい、ジョシュア・ディアルの証言を抜粋する。

 もうひとつは、先住民によるゴム・ブームの記憶語りである。話者である先住民ウィトト出身のアナスタシア・カンドレ・ヤマクリは一九六二年生まれのため、ゴム・ブームを直接には経験していない。アナスタシアが語るのは、幼少の頃にゴム・ブームを経験した彼女の母――一九八六年に亡くなった死者でもある――による記憶語りである。語り継がれる歴史的記憶のうち、ゴム・ブームの到来前夜の様子と労働力として徴用されていった男たちが不在の集落で経験された喪失について語られた箇所を抜粋した。

※『ブルー・ブック』については先住民人権擁護のために国際的に活動するNGOのIWGIAから刊行されたスペイン語版を参照している。

(近藤 宏)


③骨狩りのとき(抜粋) エドウィージ・ダンティカ 佐川愛子:訳 

                           (久野量一:選)

 あらすじ【朗読を理解するために】

 ハイチとドミニカ共和国はカリブ海のイスパニョーラ島を分け合っている。国境線となっているのは、島を南北に分ける川、川の名前は「虐殺の川」だ。この名前がついたのは、十八世紀、フランスの海賊がスペイン人に殺されたことによる。

 国境の往来は盛んで、多くのハイチ人がドミニカのサトウキビ農場で働き、彼らは農場の居住区に住んでいる。

 物語はこの島のドミニカ側の渓谷地帯の小さな村アレグリアを舞台に展開する。

 語り手はアマベル・デジル。彼女はハイチに生まれ、小さい頃、両親が虐殺の川で溺死して孤児になる。川べりにいるのを裕福なドミニカ人の親娘が声をかけ、屋敷に連れ帰る。

 その屋敷に仕えて二十年近くを過ごすうち、アマベルに恋人ができる。サトウキビ農場で働いているハイチ人、セバスチアン・オニオスである。

 オニオスと結婚を約束するものの、ドミニカ人がハイチ人を虐殺しているとの噂が流れる。スペイン語でパセリの発音が正確にできないものがハイチ人とみなされ、次々に殺されているという話だ。

 二人は神父の助けを借りてハイチに逃げようとする。しかしオニオスは待ち合わせ場所にあらわれず、友人たちと国境に向かう。

 アマベルたちが着いた国境の町ダハボンはドミニカの大統領トルヒーヨが滞在中で、多くのドミニカ人が町に繰り出している。みすぼらしい身なりのアマベルたちはドミニカ人にからまれ、暴力をふるわれ、友人の一人はその場で殺される。

 アマベルは川までたどり着き、川を渡って救われる。川べりの野原にはいくつもテントが立っていて、そこで傷を負った多くのハイチ人が治療を受けている。傷が癒えたアマベルは生まれ故郷の町に戻る。恋人セバスチアンは殺されたらしい。

 それから二十数年、トルヒーヨが暗殺されたニュースが流れる。歓喜に溢れ、ハイチ人は踊る。アマベルも踊る。


 こんな日にどうして踊ったりできるんだ?

 でも、踊る以外に私たちになにができるだろう?

 みんなの墓の上で踊っているようなものだ。(p.281)


作者 エドウィージ・ダンティカ

 一九六九年ハイチ生まれ、英語で書く作家。十代でニューヨークに移住。邦訳多数。

 『息吹、まなざし、記憶』玉木幸子訳、DHC

 『クリック?クラック!』山本伸訳、五月書房

 『アフター・ザ・ダンス?ハイチ、カーニヴァルの旅』くぼたのぞみ訳、現代企画室

 『愛するものたちへ、別れのとき』佐川愛子訳、作品社

「パセリの虐殺」に関する文献資料

エドウィージ・ダンティカ『骨狩りのとき』佐川愛子訳、作品社

マリオ・バルガス=リョサ『チボの狂宴』八重樫克彦・八重樫由貴子訳、作品社

Freddy Prestol Castillo, El masacre se pasa a pie, Ediciones de Taller, 1977

(久野量一)


④日々の子どもたち あるいは366編の世界史 (抜粋)エドゥアルド・ガレアーノ 久野量一訳


作者について――

エドゥアルド・ガレアーノはウルグアイ出身の作家。一九四〇~二〇一五。

 小説、随想、ノンフィクションやジャーナリズムを自在に結びつける執筆手法で知られる。六十年代からジャーナリストとして活動を始めたが、七三年の軍事クーデタで投獄され、アルゼンチン、のちにスペインへ亡命。

ほかに『火の記憶』三部作(みすず書房、飯島みどり訳)など。

作品について――

 この作品は、一日一話形式による三六六篇の世界史で、日めくりカレンダーのように読めるようになっています。

 カレンダーは「国際○○デー」のように多くの記念日に満ちていますが、ガレアーノは、人間が人間に対して行なう非人間的な振る舞いの歴史をたどっています。

その中から今回の企画に相応しいと思われる箇所を抜粋しました。

①アフリカ分割について

②戦死者の数え方の不合理について

③グアテマラの女性人類学者が、真実を伝えたことによって殺されたことについて

④原発事故(チェルノブイリとフクシマ)が隠蔽されることについて

⑤広島に投下された原爆について

⑥グアテマラの先住民の虐殺について

⑦黒人奴隷の解放に命を捧げた白人ジョン・ブラウンについて

(久野量一)


⑤骸骨の舞跳(抜粋) 秋田雨雀 

(原 佑介:選)

解題 

 秋田雨雀(一八八三~一九六二)は、明治末期から昭和にかけて多くの戯曲や童話、詩などを発表した文学者である。関東大震災が発生した一九二三年当時は東北地方に在住していたが、プロレタリア文学の担い手として活躍していた。

 雨雀は、震災の直後に所用で東京に赴き、被災地を実際に歩いて回った。東北への帰路、日本人たちのあいだで、被災地の各地で同時多発的に引き起こされた朝鮮人虐殺があたかも誇るべき話であるかのように語られている様子を目の当たりにし、強い衝撃を受ける。朝鮮人ジェノサイドが、ある種の「国民道徳」として倒錯的にも称揚されていたのであった。このときの「日本人」の群れにたいする絶望感をもとにして書かれたのが、戯曲「骸骨の舞跳」(一九二四)である。

 物語の舞台は、関東大震災が起きた直後、東京から東北方面に向かう鉄道の「M駅」に仮設された救護班のテント。避難民たちであふれかえるなか、「朝鮮人は私たちをみなごろしにしようとしているんだ」などという「流言蜚語」が拡散し、不穏な空気が高まっていく。そこに、甲冑や陣羽織、柔道着などを身にまとい、槍や刀で武装した奇態な日本人たちが、避難民のなかにまぎれこんだ朝鮮人を見つけ出して殺害しようと押し寄せてくる。と、一人の日本人青年が堂々と立ちはだかり、憎悪と差別意識に狂奔して「醜い骸骨」と化した日本人たちにむかって、ヒューマニズムの立場から抗議の言葉を投げかけるのであった。

(原 佑介)


⑥いくつもの頭蓋骨が(抜粋) アブドゥラマン・A・ワベリ

(福島 亮 選/訳)

解題

 第一次世界大戦後、宗主国ベルギーは、ルアンダ=ウルンディ(現在のルワンダとブルンジ)でツチに対する優遇政策を行った。植民地化以前のツチ、フツ、トゥワの区分は非常に曖昧なものだった。この曖昧な呼称が、植民地統治によって「エトニー」として固定化されたのである。

 ツチが一九五九年以降ルワンダ国民連合を結成して独立を求めるようになると、ベルギー政府はこれまで埒外においやっていたフツに肩入れするようになる。一九九四年、フツの大統領であるハビャリマナ大統領がミサイル攻撃によって暗殺されたことをきっかけに、フツによるツチのジェノサイドがおこった。

 アブドゥラマン・A・ワベリは、一九六五年にジブチで生まれ、現在フランスと合衆国を拠点に活動を続ける作家である。『バルバラ』『涙の通り路』『トランジット』の三作品が邦訳されている。二〇〇〇年に発表された『いくつもの頭蓋骨が』は、ルワンダの虐殺を受けて行われた「記憶の義務」プロジェクトの一環として書かれた作品である。ルワンダで起こったジェノサイドに対して、当時フランスでアフリカ文化を紹介していた団体「フェスタフリカ」の責任者を務めていたチャドの作家ノッキィ・ジェダヌンが「ルワンダ??記憶の義務によって書く」というプロジェクトを一九九八年に開始した。コートジヴォワールのヴェロニク・タジョ、セネガルのブバカル・ボリス・ジョップなど、一〇名ほどの作家が参加した。作家たちが立ち向かったのは、言葉にならないジェノサイドをいかに書くのか、という課題である。ワベリは聞き取りをもとに、それを詩的テクストやセゼールの詩の引用と織り合わせ、一冊の本をしたためた。                     

(福島 亮)


⑦苦しみの台帳(抜粋) エドゥアール・グリッサン 中村隆之:訳 

(作品全体の梗概)

 本作は、カリブ海マルティニック島出身の作家エドゥアール・グリッサン(一九二八~二〇一一)の四作目の長編小説の一部です。グリッサンの作品は基本的にマルティニック島を舞台に繰り広げられ、カリブ海の人々のアイデンティティを主題とします。『痕跡』(原著のタイトルの直訳は『奴隷監督の小屋』)は、人々の集合的記憶が急速に喪失していくという、一九七〇年代マルティニックの今日性とグリッサンの危機意識が刻印された作品です。小説は三つのパートからなり、第一部は、この物語の中心となるスラ一族の家系を、父系をベースにさかのぼっていく、という構成をとっています。第二部は、もはやさかのぼることのできない記憶が主題となった、断片的な章によって構成されます。第三部は、スラ一族の女性マリ・スラとその子供たちの悲劇が描かれます。第一部と第二部は、奴隷制時代で、第3部はポスト奴隷制社会である二〇世紀マルティニック社会が描かれます。

(引用箇所の位置についての説明)

 ここで描かれる女性は、奴隷船のなかで強姦され、子供を宿したのち、その子供を堕胎するのではなく、生んだのちに殺し、さらに産後すぐに絶命します。「それは境界を決して踏み越えない真実であり、人々はその境界内でなにがなんでも保持することが義務づけられているのだ」とあるように、この記憶は決して語りがれることなかったものとして提示されていることが重要かと思います。

 「苦しみの台帳」というこのタイトルは謎めいています。作中でも特に説明されていませんが、わたしなりの解釈を記します。「台帳」(最初は「記録簿」と訳していたのですが、説明的なので「台帳」としましたが、意味合いとしては「記録簿」が正確かもしれません)とあるように、これは、白人が書き記した記録のなかには、けっして残らなかった物語として提示されているのだと思います。記録に残っているのは、ひとりの女奴隷とその子供が死んだということです。白人たちの記録では、子供が死んだ悲しみで女奴隷が死んだ、という母性愛の物語で語られる。しかし、本当はそうではなかったのではないか。グリッサンはこの「苦しみの台帳」の背後にある物語(奴隷たちのあいだでも語り継がれることのなかったストーリー)を想像して、こういう挿話を書いたのだと私は考えています。

 極端なストーリーですが、我が子を殺す、という奴隷制社会の生の困難を示す挿話として選びました。奴隷貿易・奴隷制は、「種」を殺すという意味で「ジェノサイド」です。さらにここには、被害者(ここには名前も記されない女性)におけるジェノサイドの内面化という重い問いを見出すことも可能かもしれません。

(中村隆之)


⑧アフリカ ダヴィッド・ジョップ 中村隆之:訳


作者と作品の概要

 この詩の作者はダヴィッド・ジョップ(一九二七~一九六〇)です。セネガル出身の父、カメルーン出身の母のもとに生まれ、その短い生のうちに『杵つき』(一九五六年)という小さな詩集を残した、現在では知る人ぞ知る詩人です。取り上げた詩は、ダヴィッドの詩才がもっとも直截に感じとれる「アフリカ」(一九四九年)という、彼の母に捧げられた詩です。一読して分かるとおり、この詩の主題はアフリカで、心象としての「わがアフリカ」です。この語り手はアフリカを知らず、ゆえに、対照的な二つのアフリカが示されます。一方は、植民地化以前の理想的アフリカ、もう一方は、鞭に打たれた背中のイメージを重ね合わせた植民地アフリカです。

 この詩で重要なのは、歌い手の「ぼく」とその対象「アフリカ」との距離です。「その遙かな大河の岸辺で」という一文は祖母がうたう場所ですが、同時に「ぼく」がその向こう岸にいると解釈すれば、この距離は大河によって隔てられていることになります。歌い手はこの大河を渡ったことがありません。すると、アフリカの苦悩を歌い続ける「ぼく」のもとに、「声」が届く。その声の主は「祖母」であり、母であるところのアフリカそれ自体だと想像できます。その母なるアフリカが、「ぼく」を「息子」と呼ぶだけでなく「木」と呼ぶのは、アフリカをルーツとする木であることを暗示するためです。その木は「しなびた白い花々の真ん中」で立つ。「しなびた白い花々」は白人種の喩です(ダヴィッド・ジョップはその生涯の多くをフランスで過ごしました)。「押しのけて再生する」とした箇所は原文では "repousser" という動詞一語であり、「再び芽が出る」と「押し返す」という二重の意味がかけられています。声は「ぼく」に「お前のアフリカ」を示します。この詩のなかで歌い手の「ぼく」は自分の向こう側に「アフリカ」を探し求めていた。しかし、声は「お前」が探す「アフリカ」は、まさしく「お前」自身のうちにあるのだと述べる。つまりは、歌い手の「ぼく」が「アフリカ」に他ならない、と締めくくられるのです。                                            (中村隆之)



朗読会「ホロコーストの記憶との闘い」の解題はこちら


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●「死者たちの夏2023」音楽会/朗読会動画 チケット発売

8月1日(火)

※3ステージとも同時発売

※チケット購入後(初ログイン)から30日間視聴可能

●動画配信期間

音楽会=8月1日(火)12:00〜9月19日(火)23:59

朗読会=8月10日(木)12:00〜10月1日(日)23:59

●チケット料金

(各日)1,700円(手数料込)


チケット販売サイト

http://confetti-web.com/2023grg

※チケット販売開始前にオープンとなります。しばらくお待ちください。

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